立てばサキュバス座ればリリス歩く姿はバハムート

漫画みたいにキラキラした毎日も、火サスみたいにドロドロした日々も、縁がなさすぎる三十路予備軍OLの生活。

一人二役

ちょっと前に眺めてたテレビ画面から、

小中学校の友達なんてクソのようなもの。

って言葉が聞こえてきた。

 

中学受験で中高一貫校に行った私からすれば、

小中学校って括りが少々気になるが、

なんか納得できてしまう。

というか、小学生の頃に私は既に同じような事を考えてた。

 

小学校も高学年になると、

変にグループやら何やらでめんどくさいことになる。

急に色気付いて好きな男子の名前を言わないとグループに入れてあげない、

とか、毎日近くの公園にたむろしてて、

そこに来るなら仲間にしてやる、とか。

 

 

何がやだって、無所属は生きにくいってこと。

修学旅行の班決めとか、一年生の世話とか、何かにつけてチームプレーを要求されるわけです。

その度に余り物になり、何となくスクールカースト上位な女が近寄ってきて、

可哀想だからあたし達の班に入れてあげるね!って。

惨めって感覚を覚えた瞬間かもしれない。

 

 

でも、日々惨めな気持ちは嫌なので、

何でそういう気分になるのか考えたのです。

考えてわかったことは、

仲良しグループの所属で学校生活の質が左右されることに対する不満だったわけ。

今考えれば、小学生の私が、自分を納得させるために作った屁理屈かもしれない。

 

学校は勉強するための場所。友達作りが主目的でない。

 

小学生なんだから友達作りも大事なことだろ!って突っ込みたくなるけど、

この考えはその後の人生においても、

形を変えて私を支えた気がする。

 

中学2年の時、丁度いい具合に中二病を拗らせ始める頃、

又も勃発する、仲良しグループ問題。

ただ昼飯一緒に食うレベルの付き合いだと思ってたら、

この関係性ってどうなの?とか、

めんどくさい女みたいな発言してくる子がいた。

勿論、私だって絶賛中二病よ。

仲良しグループに三行半つきつけて、

そっからぼっちまっしぐら笑

とは言っても、周りに人はたくさんいるから、たいして寂しくもなかった。

 

高校の時、部活でやる気が足んない!ってキレる同期。

なぜかお通夜みたいな空気の中、

目に涙を溜めながら、私だって頑張ってる…!というほかの同期。

まさにスポ根アニメ的。

でも、冷静に考えてみれば、

別にスポーツ特待でもなければ、

全国大会目指すような部活でもない。

どちらかというと進学校だったし。

半狂乱でやる気やる気って喚いてるこの時間は何なんだ…?

タイムイズマネーよ。。

 

そう思ったが最後、アスペと言われても仕方がない発言をした私。

「公民の勉強したいから帰っていいかな?悪いけど、ここは学校だよ?部活は勉強の付属物。私は勉強の方を優先するよ。」

 

 

結局、学校は勉強するところ、って考えが気に入っちゃったのでしょう。

一つの場所に対して、一つの目的。

わかりやすいのが気に入ったのかも。

 

 

 

社会に出てからもそう。

会社は仕事をするところ。

それ以上のことは求めない。

そうやって日々を過ごしてるから

特に辛いこともなく、むしろ楽しく生きているわ。

 

職場の人間関係についてやたらと悩む人がいるけど、

職場の人間にお友達役まで求めるのはどうかと思う。

確かに、馬が合えばいいけど、

合わなかったとしたら、仕事に支障が出ないレベルでやりとりすればいいだけじゃない。

 

自分が主人公の舞台を作りたくて、

モブを増やしたいのはわかるけど、

増え過ぎたモブは視界の妨げになり、

挙げ句の果てにはウォーリーを探せ状態になってしまうよ。

 

 

 

ええと、なんだっけ。。

そう、周りの人に一人二役を強制するのは良くないと思うわけ。

私はそれをされる側だったらとても嫌だと思うから。

ビジネスパートナー役、

お友達役、

中には彼氏彼女役までお願いしちゃうんだから

すごいです。

 

 

でも、逆に、それが当たり前の人とか、

そーゆーのが好きな人は、

一石二鳥、

一粒で二度美味しい、みたいな気分で毎日生きてるのかしら。。

少しだけ羨ましい、かな…?